特集
ー琉球と薩摩が紡いだ島の宝ー 沖永良部島古墓群 シンポジウム
「沖永良部島古墓群(おきのえらぶじまこぼぐん)」は、2025年12月19日に国指定史跡に答申されました。
この答申を踏まえて近く告示され、”沖永良部島古墓群”は正式に国指定史跡となる見通しです。今回の答申どおりに指定されると、和泊町では初の国指定文化財、知名町においては住吉貝塚に続いて2件目の国指定文化財となります。
「沖永良部島古墓群シンポジウム」開催決定!
2026年2月11日(水・祝)建国記念日
「ー琉球と薩摩が紡いだ島の宝ー 沖永良部島古墓群 シンポジウム」開催決定!
時間:16:00~18:30(開場 15:30)
参加費:入場料無料(事前申込み不要)
会場:おきえらぶ文化ホール あしびの郷・ちな
主催:知名町教育委員会・和泊町教育委員会
後援:奄美考古学会・奄美群島文化財保護対策連絡協議会・一般社団法人おきのえらぶ島観光協会
〔文化庁〕令和7年度地域の特色ある埋蔵文化財活用事業
【お問合せ先】
おきえらぶ文化ホールあしびの郷・ちな 0997-81-5151
和泊町歴史民俗資料館内 文化財作業室 0997-92-0911
【参加特典】
”国指定史跡答申”記念!特製ブックレット&グッズを先着200名にプレゼント!
【古墓についてのご質問を受付中】
皆様からのご質問を募集しています! 質問内容がシンポジウムで取り上げられるかも?!
この機会に是非ご質問ください!(回答時間、5分程度)
ご質問受付期間:2026年2月2日(月)24時まで
プログラム
【第一部】基調講演
16:00~
「南島の古墓 ー沖永良部島古墓群の位置関係一」
(上原靜氏)
口頭発表
パネリストの専門分野からみる「沖永良部島古墓群」Ⅰ
「古墓の陶磁器が教えてくれること」(渡辺芳郎氏)
「古墓はなぜ生まれたのか」(町健次郎氏)
【第二部】ポスター発表
17:15~
パネリストの専門分野からみる「沖永良部島古墓群」Ⅱ
「古墓の人骨が教えてくれること」(竹中正巳氏)
両町教育委員会の調査成果報告(仲田/北野)
【第三部】サイエンスカフェ
17:45~
沖永良部島古墓群の“未来会議”
専門家から地域・生徒・学校・観光関係者
そして地元の学芸員まで...みんなで語る!!
18:30 終了
●パネリスト
・上原 靜 氏
沖縄国際大学名誉教授(考古学)
・渡辺 芳郎 氏
鹿児島大学教授(考古学)
・竹中 正巳 氏
鹿児島女子短期大学教授(人骨考古学)
・町 健次郎 氏
瀬戸内町立図書館・郷土館館長(民俗学)
・仲田 眞一郎
知名町教育委員会生涯学習係文化財担当(学芸員)
・北野 堪重郎
和泊町教育委員会生涯学習係文化財担当(学芸員)
●コメンテーター
・渋谷 啓一
文化庁文化財第二課史跡部門主任文化財調査官
・岩永 勇亮
鹿児島県教育庁文化財課文化財主事
●コーディネーター(第3部)
・ネルソン水嶋
えらぶ2世・沖永良部島在住の社会教育士
「沖永良部島古墓群」とは?
沖永良部島には、和泊町の世之主の墓をはじめ、知名町の新城花窪ニャートゥ墓・屋者ガジマル 墓・アーニマガヤトゥール墓など、琉球王国の影響を受けて成立した、前庭を持つ特徴的な造形の大型石造り掘込墓が数多く残されています。
これらの墓からは、お供えに使われたり、遺骨を納めるために使われたりした陶磁器など が見つかっており、それらは琉球のモノだけでなく、薩摩など日本本土のモノや、中国のモノなどが確認されています。
こうした大型石造り掘込墓が集中して見られるのは、奄美群島の中でも沖永良部島だけです。
去る12月19日、国の文化審議会は”沖永良部島古墓群“について、「奄美と沖縄、さらに九州南部等との文化交流を示す貴重な遺跡として重要である」とし、国の史跡に指定するよう答申しました。この答申を踏まえて近く告示され、”沖永良部島古墓群”は正式に国指定史跡となる見通しです。
本シンポジウムは、地域の皆さんと一緒に「沖永良部島古墓群」の歴史や魅力を深掘りし、さらにこれからの保存・活用について考える場にしたいと思います。
沖永良部島古墓群
和泊町内城「世之主の墓」
島内最大規模の古墓。14~15世紀ごろにこの島を治めていたとされる『えらぶ世之主』の墓と伝えられており、歴史上とても貴重な文化財です。墓の造りは第一石門、第二石門、納骨堂からなり、二重の前庭があります。墓口まで琉球石灰岩による参道が設けられています。
知名町新城「新城花窪ニャートゥ墓」
1840年に沖永良部の代官として赴任し、1824年に座横目として再来島した 鹿児島の城下士、遠矢金兵衛が妻子のために造ったものだと言われています。 二重の前庭が築かれており、その間を石門で区切られています。
※ニャートは遠矢家の屋号です。
知名町屋者「屋者ガジマル墓」
石灰岩をくり抜いて造られたトゥール墓ですが、屋根は切妻形になっていて石畳のように葺かれています。全面も石積みになっていて、石で造った家のような形になっています。この墓の築造には沖縄の石工と屋者集落民が動員されたと言い伝えられています。
知名町赤嶺「 アーニマガヤトゥール墓」
墓本体に唐破風(からはふ)に似たレリーフや窓形を彫り込み、沖縄の近世墓と類似の構造を持つ沖永良部島では珍しい形態です。共同墓地として利用されていたようですが、始めはこの地域の豪族の墓であったとの言い伝えもあります。






















