特集

沖永良部島の西郷どん-0

沖永良部の西郷どん

西郷隆盛生誕200年・没後150年
1828年1月23日に生まれ、1877年9月24日に49歳でその生涯を閉じた西郷隆盛。  
2027年(令和9年)は、生誕200年・没後150年という大きな節目の年を迎えます。

明治維新の立役者でもあった偉人の一人である西郷隆盛は、時の藩主 島津久光公の怒りにふれ、薩摩藩の重罪人として沖永良部島に流刑となりました。1年6ヵ月あまりを過ごしたこの地での過酷な牢生活を経て天地自然の理を悟り、この地で「敬天愛人(けいてんあいじん)」の大思想の礎を築いたとされています。
西郷は沖永良部島で牢生活を送りながらも地域の子弟の教育に尽力し、多くの優れた人材を輩出しました。島民との交流も多かったため、現在でもその歴史を記すゆかりの地が多く残されています。
沖永良部島はNHK大河ドラマの「せごどん」のロケ撮影地でもあり、西郷隆盛が歩んだ歴史に思いを馳せながら足跡を辿ることができます。

南の島と西郷どん

南の島と西郷どん-0

幕末維新の立役者、西郷隆盛。誰もがその名を知る歴史的大人物ですが、沖永良部島はその西郷隆盛が遠島刑を受けた地でもあります。西郷が沖永良部島で過ごした日々は文久2年閏8月14日(1862年)から元治元年・文久4年(1864年)2月までの1年6ヵ月あまり。

過酷な牢生活による極限状態を経て「敬天愛人」の思想に至ったとされています。2018年の大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」でも西郷隆盛が過ごした奄美群島での日々が描かれ、沖永良部島は同ドラマの撮影地にもなりました。

西郷がこの南の島で何を思い、誰に出会い、何を感じていたのか。

ゆかりの地を巡りながらその片鱗に触れてみれば、「西郷どん」の新たな魅力に気付くかもしれません。
西郷隆盛の軌跡をたどる旅を、ぜひ沖永良部島で!

生涯かけて大切にした「敬天愛人」の精神とは?-1

生涯かけて大切にした「敬天愛人」の精神とは?

「敬天愛人」という言葉には「人は何のために働き、何のために学び、何のために生きるのか?学問とはその先の"天を敬い、人を愛する"ことを目的にするべきだ」という西郷の人生観が込められています。この言葉は企業経営者などに座右の銘とされることも多く、京セラ創業者である故 稲盛和夫氏がその信念としていたことでも有名です。南洲神社には稲盛和夫氏が植樹した樹木と記念碑が残っています。西郷が沖永良部島に残した人を思いやる精神は今も島民の心の中に灯され、受け継がれています。

西郷どんゆかりの地

沖永良部島に流刑となり、過酷な格子牢で生死の淵に立たされた西郷隆盛。極限状態になりながらも新たな思想の境地へ辿り着いた1年6ヵ月。島民と過ごした日々、天意を悟り力の限り時代を生き抜いた西郷の軌跡に想いを馳せながら島を辿ってみましょう。知られざる南の島の「西郷どん」に出会う旅に出発!
『西郷どんゆかりの地まちあるきマップ』では一覧ルート地図でご確認いただけます。

西郷南洲記念館-1

西郷南洲記念館

復元された座敷牢もある記念資料館。

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南洲神社・南洲文庫跡-1

南洲神社・南洲文庫跡

南洲記念館近くの神社。

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南洲橋-1

南洲橋

南洲記念館から南洲神社までを結ぶ橋。

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社倉跡-1

社倉跡

西郷が島民に与えた知見の一つ、社倉跡。

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大仮屋跡-1

大仮屋跡

西郷が流刑となっていた当時の代官屋敷跡地。

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土持政照生誕の地-1

土持政照生誕の地

兄弟の契りを交わした土持政照生誕の地。

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西郷蘇鉄-1

西郷蘇鉄

西郷が心を癒された大きな蘇鉄。

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操家屋敷跡-1

操家屋敷跡

西郷の愛弟子の屋敷跡地。

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西郷隆盛が歩いた道-1

西郷隆盛が歩いた道

沖永良部島に到着した西郷が土の感触を感じながら歩いた道。

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土持政照の墓-1

土持政照の墓

西郷の厚い信頼を得た人物、土持政照が眠る場所。

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伊延港・西郷隆盛上陸の地-1

伊延港・西郷隆盛上陸の地

遠島刑となった西郷隆盛が最初に上陸した場所。

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西郷隆盛休息の地-1

西郷隆盛休息の地

牢に歩いて向かう西郷が休息を取ったとされる場所。

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西郷どんゆかりの地まちあるきマップ
西郷どんゆかりのスポットを一覧地図でご紹介します。

西郷の命を救った恩人の存在

死罪に値する遠島命令を受け、島に上陸した西郷。台風の暴風雨、容赦ない南国の日差し、冷たい北風が吹きつける過酷な野ざらし格子牢で日を追うごとに瘦せ衰えてゆく姿に西郷の命の危機を感じた「土持政照(つちもちまさてる)」は、機転を利かせ代官に家の中に座敷牢を作ることを進言しました。座敷牢の建設中、政照の家に招き入れられた西郷は次第に体力を回復させ、どんな状況でも生き抜いてやろう!という強い想いを得るようになりました。

NHK大河ドラマ『西郷どん』

NHK大河ドラマ『西郷どん』-0
NHK大河ドラマ『西郷どん』-1
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NHK大河ドラマ『西郷どん』-9

言わずと知れた幕末の英雄、西郷隆盛の生涯を描いた2018年放送のNHK大河ドラマ「西郷どん」。知名町のシ二キニャ浜をはじめ、和泊町のワンジョビーチでもドラマの撮影が行われました。沖永良部島のロケ撮影では、多くの島民エキストラが出演しているのも見どころのひとつ!放送中より反響があり、多くの観光客が訪れました。

ワンジョビーチ-1

ワンジョビーチ

白浜が美しいビーチ。ドラマでは、吉之助(西郷)が奄美大島にやってくる場面が撮影されました。

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シ二キニャ浜-1

シ二キニャ浜

手つかずの自然の美しい秘境ビーチ。奄美龍郷村のセットが作られ、撮影で賑わいました。

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沖永良部芭蕉会館-1

沖永良部芭蕉会館

撮影で使用された芭蕉布の着物や西郷どんを演じた俳優の「鈴木 亮平さん」との記念写真が展示されています。

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西郷隆盛と奄美群島 ― 島々で過ごした5年の軌跡

幕末の志士・西郷隆盛は、人生の中で二度にわたり奄美群島へ渡り、合わせて約5年にわたる島での生活を経験しました。
最初の舞台となったのは奄美大島・龍郷。ここで愛加那と出会い、二人の子どもをもうけるなど、家族とともに暮らす日々を送りました。

その後、薩摩藩主・島津久光の命に背いたことで、徳之島を経て沖永良部島へ遠島となります。沖永良部島では、過酷な牢生活の中で島の人々と出会い、教育や地域のあり方についても考えを残しました。
西郷の奄美群島での日々は、後の「西郷隆盛」を形づくった重要な時代でした。

西郷隆盛・奄美群島 年表

年月 場所 出来事
1858年(安政5)11月 鹿児島 安政の大獄などによって追われる立場となった西郷は、僧・月照とともに錦江湾へ身を投じます。西郷は一命を取り留めましたが、月照は亡くなりました。その後、薩摩藩から奄美大島への潜居を命じられます。
1858年12月 鹿児島 奄美大島への潜居が決まります。西郷は身を隠すため「菊池源吾」と名乗ることになります。
1859年1月12日 奄美大島・龍郷 西郷、龍郷の阿丹崎に上陸。薩摩藩の砂糖積船・福徳丸で奄美大島へ渡りました。現在、この地は「西郷隆盛上陸の地」として知られ、船をつないだ松は「西郷松」と呼ばれました。
1859年1月~春ごろ 奄美大島・龍郷 最初は美玉新行の空き家を借り、自炊生活を送ります。島での生活や人々になじめず、孤独を感じる時期でもありました。約2か月後、龍家ゆかりの家へ移ります。
1859年~1862年 奄美大島・龍郷 龍郷で約2年8か月を過ごします。島での生活を通して、次第に島民との交流を深めていきました。
1859年11月ごろ 奄美大島・龍郷 龍家の一族の娘・とま(のちの愛加那)と結ばれます。島で「島妻」を得たことは、西郷の奄美時代を語るうえで重要な出来事です。
1860年11月2日 奄美大島・龍郷 愛加那との間に長男・菊次郎が生まれます。西郷は島で家族を持ち、政治の世界から離れた生活を送っていました。
1861年ごろ 奄美大島・龍郷 長女・菊草も生まれます。西郷は家族との暮らしを大切にし、島での生活に深く根を下ろしていきます。
1861年11月21日 奄美大島・龍郷 薩摩藩から帰藩を命じる召還状が届きます。西郷は島を離れる準備を始め、世話になった人々への挨拶をします。
1862年1月14日 奄美大島 → 口永良部島方面 西郷、龍郷を出発。愛加那や子どもたちと別れ、鹿児島へ向かいます。途中、口永良部島に約10日間滞在したと伝えられています。
1862年2月12日 鹿児島 奄美大島から鹿児島へ帰着。島での生活を終え、再び政治の舞台へ戻ります。
1862年3月 鹿児島・京都方面 島津久光の上京に先立って西郷も動きます。しかし、久光の命令に背いたとされ、久光の怒りを買います。
1862年6月 鹿児島 西郷に再び遠島の命令が下されます。当初は徳之島への遠島とされました。
1862年7月5日ごろ 徳之島・湾屋 西郷、徳之島の湾屋に上陸。屋久島・奄美大島などを経由して徳之島へ渡りました。
1862年7月~8月 徳之島 徳之島で流人生活を送ります。奄美大島で別れた愛加那が、菊次郎・菊草を連れて西郷を訪ねたとされ、親子が再会します。しかし、ここでも長く暮らすことはできませんでした。
1862年8月28日 徳之島・井之川 沖永良部島への再遠島が決まり、西郷は井之川へ移ります。沖永良部行きの船を待つ間、奥屋山家に17日間滞在しました。現在の「奥山家(西郷松)」です。
1862年9月~10月ごろ 徳之島 → 沖永良部島 徳之島を出航。さらに南の沖永良部島へ送られます。
1862年 閏8月14日 沖永良部島・伊延 西郷、沖永良部島の伊延港に到着。和泊の牢屋が完成していなかったため、まず船牢で2日間過ごしたと伝えられています。
1862年 閏8月15日ごろ 沖永良部島・伊延~和泊 牢へ向かう際、馬に乗ることを勧められた西郷は徒歩で進んだと伝えられています。伊延から和泊まで約4kmの道は、現在も「西郷隆盛が歩いた道」として残されています。
1862年秋~ 沖永良部島・和泊 西郷は格子だけの過酷な牢に入れられます。風雨や潮風にさらされる厳しい環境で、健康状態も悪化しました。沖永良部での約1年6か月に及ぶ生活が始まります。
1862年~1863年 沖永良部島 島役人の土持政照が西郷の窮状を見かね、代官に相談。西郷を格子牢から座敷牢へ移すための動きが始まります。土持政照は西郷の命を救った人物として、現在も沖永良部島で語り継がれています。
1863年ごろ 沖永良部島 座敷牢が完成し、西郷は比較的落ち着いた環境で生活できるようになります。土持政照ら島の若者たちとの交流も深まり、教育にも力を注ぐようになります。
1863年 沖永良部島 西郷は島の将来を担う人々に、役人としての心得や地域を支える考え方を伝えたとされます。のちに島の人材育成につながる思想が、この時期に残されました。
1863年 沖永良部島 西郷は飢饉や凶作に備える「社倉」の考え方を記した「社倉趣意書」などを残したとされています。これは、個人だけでなく島全体で困難に備えるという考えを示すものです。
1863年5月8日 沖永良部島 → 奄美大島 西郷から龍郷の知人・藤長らへ手紙が出されます。その中で、罪が赦されたら龍郷で隠居して暮らしたいという趣旨を記しており、奄美大島と家族への強い思いがうかがえます。
1864年2月 沖永良部島 薩摩藩から西郷の赦免・召還が決まります。沖永良部島での約1年6か月の生活が終わりを迎えます。
1864年2月21日ごろ 沖永良部島・和泊 西郷を迎える蒸気船が沖永良部島に到着。西郷は島を離れることになります。
1864年2月下旬 喜界島 帰途、西郷は喜界島に立ち寄り、遠島中だった村田新八と合流します。喜界島もまた、幕末の薩摩と奄美を結ぶ西郷の足跡の一つです。
1864年2月23日ごろ 奄美大島・龍郷 帰還途中、西郷は再び龍郷に立ち寄ります。愛加那と菊次郎・菊草との最後の別れとなりました。
1864年2月26日ごろ 奄美大島・龍郷 → 鹿児島 西郷は妻子と別れ、龍郷を出航。これを最後に、奄美大島での生活に戻ることはありませんでした。
1864年3月 鹿児島 西郷、薩摩藩の軍賦役などに復帰。ここから禁門の変、長州征討、薩長同盟、戊辰戦争など、明治維新の中心人物としての活動が本格化します。

奄美群島での西郷隆盛

西郷隆盛の奄美群島での足跡は、大きく二つの時期に分けることができます。

1.奄美大島・龍郷での「家族の時代」

1859~1862年

奄美大島・龍郷での約3年間は、西郷にとって政治から離れ、一人の人間として島の暮らしに向き合った時代でした。

愛加那と出会い、菊次郎・菊草という二人の子どもをもうけ、島の人々との交流を深めていきます。

当初は孤独に苦しんだ西郷でしたが、次第に島の生活になじみ、龍郷は西郷にとって「流された場所」から「家族のいる場所」へと変わっていきました。

2.徳之島・沖永良部島での「試練の時代」

1862~1864年

鹿児島へ戻った西郷は、わずか数か月後に再び遠島となります。

徳之島では愛加那と子どもたちとの再会と別れを経験し、その後、沖永良部島へ送られました。

沖永良部島では、格子だけの牢に入れられるという極めて厳しい環境に置かれました。しかし、土持政照をはじめとする島の人々との出会いによって命を救われ、やがて教育や地域づくりにも関わるようになります。


「流された島」から「人を育てる島」へ

沖永良部島での西郷は、ただ牢に閉じ込められていたわけではありません。

土持政照ら島の若者たちとの交流を通じて、役人としての心得や教育、凶作への備えなどについて考えを伝えました。

西郷が残したとされる「社倉趣意書」の考えは、のちに土持政照らによる社倉の設立へとつながります。1870年(明治3)には社倉が設立され、島の将来を支える仕組みの一つとなりました。

そのため沖永良部島での1年6か月は、西郷にとって単なる「流刑の時代」ではなく、島の人々と出会い、人を育て、地域の未来について考えた時代として見ることができます。


西郷の島々をつなぐ

西郷隆盛の奄美群島での足跡を地図にすると、ひとつの大きな物語が見えてきます。

奄美大島・龍郷

愛加那との出会い、家族との暮らし

徳之島

愛加那・子どもたちとの再会と別れ

沖永良部島

過酷な牢生活、土持政照との出会い、教育・社倉への関わり

喜界島

村田新八との合流

奄美大島・龍郷

愛加那・子どもたちとの最後の別れ

鹿児島へ

西郷隆盛にとって奄美群島は、人生から切り離された「流刑地」ではありませんでした。

家族と出会い、人々と出会い、苦難を経験し、そして再び時代の中心へ戻っていく――。

その原点の一つが、ここ南の島々にあります。

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