観光スポット

しゃそうあと

社倉跡

凶作年の飢饉などに備えた救済制度

ー政照は若いが、将来きっとこの島を背負う男になるー

そう確信していた西郷は、自身の命を助けた恩人である土持政照に島の未来を託し、
①『社倉趣意書(非常時に対する備え)』
②『与人役大体(村長の心得)』
③『横目役大体(警察官の心得)』を授けました。

西郷隆盛が遠島生活を送っていた当時の沖永良部島は、毎年のように台風に襲われ、干ばつなども繰り返され、いつ大飢饉に陥るかわからない状況でした。西郷が書き記した『社倉趣意書』には、「飢餓や凶作を乗り切るためには島民が協力し、日頃からの蓄えが重要」という教えが書かれていました。

この教えを守り、1870年(明治3)に土持政照らにより設立されたのが「社倉」です。飢饉の際に人々を助けただけでなく、病院の設立や困窮者の救済にも充てられました。
このようにして、西郷が残した敬天愛人の精神や人づくりを目指す郷中教育(薩摩藩で行われた青少年教育)の精神は、土持政照らの弟子を通じて全島民に根付き、沖永良部島を発展させる原動力となりました。

明治時代の島の発展は西郷が勧めた備蓄制度「社倉」によって支えられ、全島民が籾(モミ)を出資して創設した社倉の利益は島民の社会福祉に大いに貢献しました。
海運や電信の発達に伴い、飢饉に備える役割を終えた社倉は1900年(明治33)に解散し、その財産は和泊村と知名村で分割され、村の基本財源となりました。また、この資金の一部で建立されたのが、「西郷南洲神社」です。

さらに、社倉による全島民の組織化は、その後の沖永良部島の農業発展の礎にもつながっていったのです。

基本情報

住所 〒891-9111 鹿児島県大島郡和泊町和泊
到達難易度(★が多いほど難易度高め) ★★☆☆☆
関連サイト 沖永良部の西郷どん(特集ページ)
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