モデルコース
自然崇拝の島の神社巡り
自然崇拝の島であり、実は45ヶ所もの神社が点在する沖永良部島。多くの神社では島の英雄や、石・植物などエリア一体をご神体としてお祀りしています。
神社周囲の植物などを楽しみながら自然散策の一環で巡るのがおすすめです。
以下記事ではそれぞれの神社の由来などをご紹介します。
監修:先田光演氏
※島の御朱印に関しては本ページ末尾にてご説明しています。
START
1 岬神社(岬大明神)
2 琴平神社(金毘羅神社)
3 菅原神社
4 高千穂神社
住所 | 〒891-9112 鹿児島県大島郡和泊町和泊1059 |
---|
5 世之主神社(居城跡)
1871年(明治4)居城跡に安産祈願と病気治癒を祈る神社として建立されました。標高約140mの丘陵に位置し見晴らしがよく、元旦には初日の出スポットとして賑わっています。
世之主居城跡はマサ(花崗岩風化)の山を削って5つの囲いを持っている山城ですが、形状は三角形に近く沖縄の今帰仁城とよく似ています。囲いの壁には石灰岩が積まれていますが、この近くでは石灰岩は採取されていないことから、別の場所から運ばれてきたものではないかと推測されています。中世の山城としては日本の史跡でも珍しく貴重な遺跡です。神社としては「英雄祀霊型」に分類されます。
住所 | 〒891-9131 鹿児島県大島郡和泊町内城962 |
---|
6 拝山神社
この神社が祀られている丘にはその昔大木が繁っていましたが、明治41年~大正6年ごろにかけて、集落の衛生設備工事や酒造所建設の材木とするため、この地の大木らを伐採してしまいました。
その後、拝山の上空には赤い火玉が見えるという流言が発生し、同時期には不思議にも毎年若い青年らが多数死亡したため、集落民は恐怖と不安に襲われる日々を過ごすこととなります。そこでこの地に神社を建設する気運が高まり、境内整備をするためにこの丘の頂上にあった墓を掘り出したところ、遺骨や土器の破片が見つかり、集落民によって丁重に洗い清められ安置されることになりました。
このような言い伝えもあり、現在もこの神社は無病長寿の神様として集落民に大切にされています。
今から70~80年前(1950~1960年頃)はこの集落でもまだコメ作りが盛んに行われており、1月・5月・9月には例祭も催され大変賑やかだったそうです。現在は当時の沖永良部島の光景や島民の生活を後世に伝える「世間遺産」として、集落の方々による保全が続けられています。
マチブタが汲みだしたとされる「江戸の地下ダム」も近くにありますので一緒に巡ってみてください。
住所 | 〒891-9211 鹿児島県大島郡知名町芦清良(あしきょら) |
---|---|
関連サイト | 電子書籍:知名町の子どもたちが再発見したわたしたちの宝もの 江戸の地下ダム |
7 はみやま神社
8 世並蔵神社(四並蔵神社)
GOAL!
【御朱印について】
近年、「沖永良部島で御朱印がもらえる神社を紹介して欲しい」というお問合せを頂戴することも増えてきました。
沖永良部島を含む琉球奄美の信仰は元来自然崇拝と先祖信仰であるため、本州の神道や仏教由来の神社仏閣とは宗教的に異なる価値観を持っています。
琉球・奄美地方の宗教観には、石や太陽などの自然信仰やノロ・ユタ信仰、島に所縁のある偉人(王族や歴史上の人物など)や先祖をあがめる想いが根幹にあります。薩摩藩や明治時代の日本政府の布教により、神道や仏教も一定の広まりは見せたものの、現在もなお神仏信仰よりも琉球由来の信仰にもとづく文化への敬意のほうが強い風土です。
このような背景があるため、いわゆる「神仏とのご縁の記録」を表すとされる御朱印を出す宗教風習も深くは定着しておらず、各神社には常駐する神職の方や神主さんなどもいません。
神社を訪れる際には、御朱印集めを目的に巡るというよりも、自然崇拝の島ならではの神社全体の雰囲気などを散策の一環で巡ってみてくださいね。