観光スポット
おがみやまじんじゃ
拝山神社
【伝説の開拓者、マチブタの神話が息づく聖地】
その昔、この神社が建つ芦清良(あしきょら)集落の統治者であった「マチブタ」という名の豪族を祀る神社です。
マチブタは土地を開拓し、水田開発をした伝説の人物で、言い伝えでは200年も生きたとされ、長生きの神様や力持ちの神様として祀られています。 この神社が祀られている丘にはその昔大木が繁っていましたが、明治41年~大正6年ごろにかけて、集落の衛生設備工事や酒造所建設の材木とするため、この地の大木らを伐採してしまいました。その後、拝山の上空には赤い火玉が見えるという流言が発生し、同時期には不思議にも毎年若い青年らが多数死亡したため、集落民は恐怖と不安に襲われる日々を過ごすこととなります。 そこでこの地に神社を建立する気運が高まり、境内整備をするためにこの丘の頂上にあった墓を掘り出したところ、遺骨や土器の破片が見つかり、集落民によって丁重に洗い清められ安置されることになりました。このような言い伝えとともに、現在もこの神社は無病長寿の神様として崇められています。
昭和30年代まではこの集落でもまだコメ作りが盛んに行われており、当時は1月・5月・9月には例祭も催され大変賑やかだったそうです。現在は当時の沖永良部島の光景や島民の生活を後世に伝える場所として、集落の方々に大切にされています。
近くには「江戸時代の地下ダム」もありますので一緒に巡ってみてください。
その昔、この神社が建つ芦清良(あしきょら)集落の統治者であった「マチブタ」という名の豪族を祀る神社です。
マチブタは土地を開拓し、水田開発をした伝説の人物で、言い伝えでは200年も生きたとされ、長生きの神様や力持ちの神様として祀られています。 この神社が祀られている丘にはその昔大木が繁っていましたが、明治41年~大正6年ごろにかけて、集落の衛生設備工事や酒造所建設の材木とするため、この地の大木らを伐採してしまいました。その後、拝山の上空には赤い火玉が見えるという流言が発生し、同時期には不思議にも毎年若い青年らが多数死亡したため、集落民は恐怖と不安に襲われる日々を過ごすこととなります。 そこでこの地に神社を建立する気運が高まり、境内整備をするためにこの丘の頂上にあった墓を掘り出したところ、遺骨や土器の破片が見つかり、集落民によって丁重に洗い清められ安置されることになりました。このような言い伝えとともに、現在もこの神社は無病長寿の神様として崇められています。
昭和30年代まではこの集落でもまだコメ作りが盛んに行われており、当時は1月・5月・9月には例祭も催され大変賑やかだったそうです。現在は当時の沖永良部島の光景や島民の生活を後世に伝える場所として、集落の方々に大切にされています。
近くには「江戸時代の地下ダム」もありますので一緒に巡ってみてください。
【世間遺産登録 No.6】
「世間遺産」とは?
誰の心の中にもある「大切なもの」「未来に残したいもの」を世間遺産と呼んでいます。
「世界遺産はユネスコが決定しますが、世間遺産は、日本の市民が、そして私たち自身が探し出して決めることができる大切な宝物・遺産です」(世間遺産公式オフィシャルページ)とあるように、それを決めるのは、地域に暮らす人々やその場所を訪れた人自身です。
あたりまえすぎて見過ごされていた町並みや景色、建物、人など、自分たちの身近に存在する何気ない宝物に光を当て、その価値を再認識することで、自分たちの生活を見直し地域の再生にもつなげていこうとするもので、そのような場所や、場所を残していこうとする活動自体が「世間遺産」と呼ばれています。
基本情報
住所 | 〒891-9211 鹿児島県大島郡知名町芦清良(あしきょら) |
---|---|
到達難易度(★が多いほど難易度高め) | ★★☆☆☆ |
関連サイト |
電子書籍:知名町の子どもたちが再発見したわたしたちの宝もの 江戸の地下ダム |