観光スポット
よのぬしじんじゃ(きょじょうあと)
世之主神社(居城跡)
古の時を超え、世之主が見た景色に出会う場所
今から600年以上前の14~15世紀ごろ、現在の沖縄県は「北山」「中山」「南山」の三つの勢力に分かれて覇を競っていた三山時代でした。その頃の沖永良部島は北山の支配下にあり、北山王の次男とされる「真松千代(ままちぢよ)」が世之主(よのぬし=島主)として島を治めていました。
この神社は明治時代、城跡に島の守り神として世之主を祀る神社として建立されました。標高約140mの丘陵に位置し、南は与論島と沖縄本島北部が眺望でき、北は徳之島を見渡せる丘の頂上に築かれています。
島内には2つの「世之主神社」が存在しますが、知名町下城にあるもう1つの世之主神社は、世之主が誕生した場所であるとされ、出産の際に産湯を沸かしたと伝わる「かまど石」がご神体として祀られています。
内城の世之主神社は世之主の居城跡に建てられていますが、この城は「マサ」と呼ばれる花崗岩が風化した山を削り、5段の平場を持っている山城です。城壁には石灰岩が積まれていますが、この近くでは石灰岩は採取されないことから、別の場所から運ばれてきたものではないかと推測されています。優れた建築家であった重臣の後蘭孫八(ごらんまごはち)が築城したとの伝承もあります。
毎年11月頃には、世之主没後600年に当たる2016年から始まった「世之主野外音楽祭」が開催され、島民らが琉球民謡や踊りなどを披露しています。
大変眺望が良い場所にある神社なので、元旦の初日の出を拝む場所としてもおすすめです。この場所で新年の幸せを祈りながら世之主も眺めたであろう朝日に出会い、古来の太陽信仰に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
この神社は明治時代、城跡に島の守り神として世之主を祀る神社として建立されました。標高約140mの丘陵に位置し、南は与論島と沖縄本島北部が眺望でき、北は徳之島を見渡せる丘の頂上に築かれています。
島内には2つの「世之主神社」が存在しますが、知名町下城にあるもう1つの世之主神社は、世之主が誕生した場所であるとされ、出産の際に産湯を沸かしたと伝わる「かまど石」がご神体として祀られています。
内城の世之主神社は世之主の居城跡に建てられていますが、この城は「マサ」と呼ばれる花崗岩が風化した山を削り、5段の平場を持っている山城です。城壁には石灰岩が積まれていますが、この近くでは石灰岩は採取されないことから、別の場所から運ばれてきたものではないかと推測されています。優れた建築家であった重臣の後蘭孫八(ごらんまごはち)が築城したとの伝承もあります。
毎年11月頃には、世之主没後600年に当たる2016年から始まった「世之主野外音楽祭」が開催され、島民らが琉球民謡や踊りなどを披露しています。
大変眺望が良い場所にある神社なので、元旦の初日の出を拝む場所としてもおすすめです。この場所で新年の幸せを祈りながら世之主も眺めたであろう朝日に出会い、古来の太陽信仰に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
【世間遺産登録 No.9】
「世間遺産」とは?
誰の心の中にもある「大切なもの」「未来に残したいもの」を世間遺産と呼んでいます。
「世界遺産はユネスコが決定しますが、世間遺産は、日本の市民が、そして私たち自身が探し出して決めることができる大切な宝物・遺産です」(世間遺産公式オフィシャルページ)とあるように、それを決めるのは、地域に暮らす人々やその場所を訪れた人自身です。
あたりまえすぎて見過ごされていた町並みや景色、建物、人など、自分たちの身近に存在する何気ない宝物に光を当て、その価値を再認識することで、自分たちの生活を見直し地域の再生にもつなげていこうとするもので、そのような場所や、場所を残していこうとする活動自体が「世間遺産」と呼ばれています。
2025年2月、集落の皆さんが昔から大切にしてきた文化や、島民の素朴な暮らしを感じられるようなものに光をあて、後世に受け継ぎ残していきたい場所を『エラブ世間遺産』として認定しました!
基本情報
住所 | 〒891-9131 鹿児島県大島郡和泊町内城962 |
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到達難易度(★が多いほど難易度高め) | ★★☆☆☆ |
アクセス | 沖永良部空港から車で約20分/和泊港から車で約16分 |
関連サイト | 世之主神社(世之主誕生の地) |