観光スポット
えどじだいのちかだむ
江戸時代の地下ダム
島のコメ作りを支えた手掘りの地下ダム
芦清良(あしきょら)集落の県道から農道に入ったところにある、今から約300年前に作られた地下ダムで、当時の島民が何年もかかって手掘りして作ったものです。
集落の呼び名では、この場所は「水窪(みじくぶ)」と呼ばれます。
沖永良部島は隆起珊瑚礁の島であるため地下水が流れる場所が多いですが、特にこの地下ダムが残る芦清良集落は水源に恵まれたエリアであり、1960年代後半頃までは島内有数の米所とされていました。 今でこそ一面さとうきび畑ばかりが目立つ農業風景が広がっていますが、当時の沖永良部島は稲作が盛んで、年間を通した暖かい気候と豊富な湧き水の恵みにより、年2回米の収穫を行っていました。
ここは、芦清良集落の稲作を支える設備として、石灰岩を切り開き、地下水をせき止め、水を湧き出させることで田んぼ用の用水路として使用された場所です。この地下ダムを作るため、当時は島全域から作業に従事する労働者が集められ、その賃金は米で支払われたと記録されています。
しかしながら、1970年頃から本格化した国の減反政策により米を作る農家が急激に減り、田んぼ用の水路も必要性が無くなったことから、2000年頃にはその役目を終えています。 現在は当時の沖永良部島の光景や島民の生活を後世に伝える場所として、集落の方々による保全が続けられています。
集落の呼び名では、この場所は「水窪(みじくぶ)」と呼ばれます。
沖永良部島は隆起珊瑚礁の島であるため地下水が流れる場所が多いですが、特にこの地下ダムが残る芦清良集落は水源に恵まれたエリアであり、1960年代後半頃までは島内有数の米所とされていました。 今でこそ一面さとうきび畑ばかりが目立つ農業風景が広がっていますが、当時の沖永良部島は稲作が盛んで、年間を通した暖かい気候と豊富な湧き水の恵みにより、年2回米の収穫を行っていました。
ここは、芦清良集落の稲作を支える設備として、石灰岩を切り開き、地下水をせき止め、水を湧き出させることで田んぼ用の用水路として使用された場所です。この地下ダムを作るため、当時は島全域から作業に従事する労働者が集められ、その賃金は米で支払われたと記録されています。
しかしながら、1970年頃から本格化した国の減反政策により米を作る農家が急激に減り、田んぼ用の水路も必要性が無くなったことから、2000年頃にはその役目を終えています。 現在は当時の沖永良部島の光景や島民の生活を後世に伝える場所として、集落の方々による保全が続けられています。
【エラブ世間遺産登録 No.5】
「世間遺産」とは?
誰の心の中にもある「大切なもの」「未来に残したいもの」を世間遺産と呼んでいます。
「世界遺産はユネスコが決定しますが、世間遺産は、日本の市民が、そして私たち自身が探し出して決めることができる大切な宝物・遺産です」(世間遺産公式オフィシャルページ)とあるように、それを決めるのは、地域に暮らす人々やその場所を訪れた人自身です。
あたりまえすぎて見過ごされていた町並みや景色、建物、人など、自分たちの身近に存在する何気ない宝物に光を当て、その価値を再認識することで、自分たちの生活を見直し地域の再生にもつなげていこうとするもので、そのような場所や、場所を残していこうとする活動自体が「世間遺産」と呼ばれています。
2025年2月、集落の皆さんが昔から大切にしてきた文化や、島民の素朴な暮らしを感じられるようなものに光をあて、後世に受け継ぎ残していきたい場所を『エラブ世間遺産』として認定しました!
基本情報
住所 | 〒891-9215 鹿児島県大島郡知名町芦清良 |
---|---|
到達難易度(★が多いほど難易度高め) | ★★★★☆ |
アクセス | 沖永良部空港から車で約23分/和泊港から車で約16分 |
駐車場 | なし |
関連サイト |
電子書籍:知名町の子どもたちが再発見したわたしたちの宝もの 拝山神社 |