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観光スポット
よなみぞじんじゃ
世並蔵神社(四並蔵神社)
島西部を支えた豪族伝説を今に伝える地域信仰の場所
世並蔵神社は、中世のこの地を治めた豪族である「ユナンドガナシ」という人物を祀る神社です。後世、ユナンドガナシには世並蔵(よなみぞう)という漢字があてられるようになり(※)、徳時集落には世並蔵にまつわる多くの豪族伝説が伝えられるようになりました。
神社のあるこの場所は世並蔵の住まいが構えられていた場所とされています。当時の世並蔵は学問や武道、病気の治療など多岐にわたる知恵に優れ、多くの住民の暮らしを支えたことから、その影響は沖永良部島西部の広い地域に及んだと言われています。住民たちはその徳に感謝し、「地蔵(ジーグラ)」と呼ばれる場所を作り、穀物などを納めて世並蔵への思いを大切に守り続けました。その後、明治時代の神仏分離令によって神社が創建され、産業や安産、武神として広く敬われるようになったのが、この世並蔵神社のはじまりです。
毎年1月20日と8月20日には、賑やかな大祭が行われ、地域の人々が世並蔵神社に集まります。1月20日には奉納グラウンドゴルフ大会が、8月20日には伝統的な奉納相撲大会が開催され、いずれも地域の重要な行事として、多くの人々に親しまれています。
世並蔵神社は徳時集落にとっての心の安らぎの場であり、神社境内や周辺の美化活動も、住民が中心となった集落活動の一つとして続けられています。この地を訪れた伊勢神宮神官のお話では、島全体を巡る地下の洞窟が龍脈となり、神社から「気」が流れ出ているのを感じるそうです。
世並蔵神社は地域の大切な文化を育んできた場所であり、住民たちの手によって守られ、様々な物語とともに未来へと受け継がれています。
(※)文献によっては四並蔵という漢字があてられていることもあります。
神社のあるこの場所は世並蔵の住まいが構えられていた場所とされています。当時の世並蔵は学問や武道、病気の治療など多岐にわたる知恵に優れ、多くの住民の暮らしを支えたことから、その影響は沖永良部島西部の広い地域に及んだと言われています。住民たちはその徳に感謝し、「地蔵(ジーグラ)」と呼ばれる場所を作り、穀物などを納めて世並蔵への思いを大切に守り続けました。その後、明治時代の神仏分離令によって神社が創建され、産業や安産、武神として広く敬われるようになったのが、この世並蔵神社のはじまりです。
毎年1月20日と8月20日には、賑やかな大祭が行われ、地域の人々が世並蔵神社に集まります。1月20日には奉納グラウンドゴルフ大会が、8月20日には伝統的な奉納相撲大会が開催され、いずれも地域の重要な行事として、多くの人々に親しまれています。
世並蔵神社は徳時集落にとっての心の安らぎの場であり、神社境内や周辺の美化活動も、住民が中心となった集落活動の一つとして続けられています。この地を訪れた伊勢神宮神官のお話では、島全体を巡る地下の洞窟が龍脈となり、神社から「気」が流れ出ているのを感じるそうです。
世並蔵神社は地域の大切な文化を育んできた場所であり、住民たちの手によって守られ、様々な物語とともに未来へと受け継がれています。
(※)文献によっては四並蔵という漢字があてられていることもあります。
【エラブ世間遺産登録 No.4】
「世間遺産」とは?
誰の心の中にもある「大切なもの」「未来に残したいもの」を世間遺産と呼んでいます。
「世界遺産はユネスコが決定しますが、世間遺産は、日本の市民が、そして私たち自身が探し出して決めることができる大切な宝物・遺産」(世間遺産公式オフィシャルページ)とあるように、それを決めるのは、地域に暮らす人々やその場所を訪れた人自身です。
あたりまえすぎて見過ごされていた町並みや景色、建物、人など、自分たちの身近に存在する何気ない宝物に光を当て、その価値を再認識することで、自分たちの生活を見直し地域の再生にもつなげていこうとするもので、そのような場所や、場所を残していこうとする活動自体が「世間遺産」と呼ばれています。
2025年2月、集落の皆さんが昔から大切にしてきた文化や、島民の素朴な暮らしを感じられるようなものに光をあて、後世に受け継ぎ残していきたい場所を『エラブ世間遺産』として認定しました!
基本情報
住所 | 〒891-9222 鹿児島県大島郡知名町徳時(とくどき) |
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到達難易度(★が多いほど難易度高め) | ★★☆☆☆ |
アクセス | 沖永良部空港から車で約32分/和泊港から車で約26分 |
駐車場 | あり |