観光スポット
いだしちはま
イダシチ浜
イダシチ(伊座敷泊)は昔港として利用されており、源為朝(みなもとの・ためとも)上陸伝説のある浜です。源為朝は源頼朝・義経の叔父にあたる人物です。
源為朝は、平安時代末期の武将であり、2メートルを超える豪傑*で保元の乱(1156年)に敗れた後、伊豆諸島へ流罪になったとされています。伊豆諸島に流された後、琉球に渡ったという伝説が残っており、さらに琉球に渡る前に沖永良部島を訪れ、今の畦布(あぜふ)に居を構えたと言い伝えられています。
その後、琉球に渡りその子息が初代琉球国王の位についた『舜天王(しゅんてんおう)』とされています。三代国王『義本王(ぎほんおう)』は王位から退いた後、為朝が一時居住していた地を慕って来島し、沖永良部最初の按司(あじ)*として君臨しました。
現在の、湾門山(わんじょやま)頂上の大和城(やまとぐすく)に居住していたとされ、「畦布(あぜふ)」の地名の由来も按司府(あじふ)*の跡であろうことから付けられたとされています。
畦布字には他にも「祝女(のろ)の遺品」が保存されていたりなどと遺跡や伝説が多く宿る地域です。ロマンを感じながら字巡りをしてみてはいかがでしょうか。
犬の顔のような岬は伊座敷岬と呼ばれています。
源為朝は、平安時代末期の武将であり、2メートルを超える豪傑*で保元の乱(1156年)に敗れた後、伊豆諸島へ流罪になったとされています。伊豆諸島に流された後、琉球に渡ったという伝説が残っており、さらに琉球に渡る前に沖永良部島を訪れ、今の畦布(あぜふ)に居を構えたと言い伝えられています。
その後、琉球に渡りその子息が初代琉球国王の位についた『舜天王(しゅんてんおう)』とされています。三代国王『義本王(ぎほんおう)』は王位から退いた後、為朝が一時居住していた地を慕って来島し、沖永良部最初の按司(あじ)*として君臨しました。
現在の、湾門山(わんじょやま)頂上の大和城(やまとぐすく)に居住していたとされ、「畦布(あぜふ)」の地名の由来も按司府(あじふ)*の跡であろうことから付けられたとされています。
畦布字には他にも「祝女(のろ)の遺品」が保存されていたりなどと遺跡や伝説が多く宿る地域です。ロマンを感じながら字巡りをしてみてはいかがでしょうか。
犬の顔のような岬は伊座敷岬と呼ばれています。
・豪傑(ごうけつ)…武勇にすぐれ、力も強く、肝っ玉もすわっている人。俗に、小事にこだわらず思いきったことをする人。
・按司(あじ)…琉球や奄美群島における地方豪族の首長やその一族の称号。
・按司府(あじふ)…按司の駐在所
基本情報
住所 | 〒891-9223 鹿児島県大島郡和泊町畦布(あぜふ) |
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到達難易度(★が多いほど難易度高め) | ★★★★☆ |