たしきまた
タシキマタと呼ばれる三叉路には、南側には縦に割れたような大岩があります。これは島の各地を統治していた豪族、後蘭孫八(ごらんまごはち)と西目国内兵衛佐(にしみくにうちべーさ)が争ったときの刀傷だと伝えられています。